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団長の福島訪問記

9月6日(金)と7日(土)に福島にいってきました。

日本弁護士連合会は、10月3日(木)に広島で人権大会を開きますが、その中で「放射能による人権侵害の根絶をめざして」と題してシンポジュームを開きます。その人権大会のプレシンポジュームとして、福島弁護士会主催で開かれたものです。

その企画の中で原発周辺地域の視察もあるということなので、現地の様子を見たいと思っていってきました。

現地視察はバスで巡るものですが、二つのコースが設定されており、一つは原発の北側を中心とした地域、もう一つは南を中心とした地域です。

私は、南を中心とした地域にいってきました。市長村としては、郡山市、田村市、川内村、富岡町、楢葉町です。

翌日は、浪江町と川内村の町村長や学者などを交えたシンポがありました。

今回の訪問記は、現地視察を中心に私が感じたことをお伝えしたいと思います。

 6日午前11時出発でしたので、それまで郡山市内を歩きました。団長挨拶でも書きましたが、私は震災の年の7月に東北の津波被害視察のあと郡山に一泊しましたが、そのときは思いませんでしたが、市内を歩くと各公園に放射能の測定器(モニタリングポスト)がありました。

これは、普通の街と比べて異質な風景でした。裁判所近くの公園で、8月28日除染したという看板がありました。除染前1,64、除染後0,26と書いてありました。

市立図書館横の公園でも8月28日除染したという看板があり、除染前1,64、除染後0,71とありました。

除染後でも、目標値の年間1ミリシーベルト、時間あたり0,23をクリヤーしていないことを示していました。

視察のバスの中で郡山の弁護士さんが、自分の事務所の周辺は線量が高く、この秋除染予定ですといっていました。福島市はもっと高いとも。

郡山市は自主避難地域ですが、おそらく多くの街でこのような状況で生活されていると思い、今更ながら衝撃をうけました。

 視察は郡山市の「ヘップキッズ郡山」という室内の子供の遊び場の施設の見学から始まりました。

放射能の汚染から屋外でこどもを遊ばせることに不安をもった親と子供たちのために室内の遊び場を確保した施設で、震災の年の12月にオープンした施設でした。6ヶ月から12才までの子供が対象で、2時間を限度で無料という施設です。多くの子供や親たちが遊んでいました。

かなり広い施設で大型遊具や創意工夫をこらした遊具がならんでいました。現在では、野外で遊ぶ子供達もいるとのことでしたが、ここと併用しているようでした。こんな施設をつくらないといけないという現実にまた考え込んでしまいました。

バスは、郡山市から田村市、川内村にはいっていきました。線量計はだんだんと高くなっていきました。道路の側には、放射能を除染した土壌などを入れた真っ黒な袋(フレコンパック)がたくさん並んでいる風景が段々多くなっていきました。

川内村は、役場機能ごと全村避難した村ですが、現在は帰村宣言をして村役場は戻ってきていました(平成24年4月から帰村)。

村役場で村長さんなどから、全村避難した当時の状況や帰村宣言をした経過や現在の様子などの説明をうけました。

現在、震災前3000人いた人口は1300人だということでした。川内村は、隣の富岡町に仕事や買い物、医療、福祉、高校などを依存していたそうですが、富岡町は現在居住禁止区域であり、これらをこれからどうするか、様々な模索(室内野菜育成工場建設、コンビニ開設など)をしておられました。

除染も民家は終了したが、0,23に下がらないところが40%あり、森林除染はこれからということで、国に対し、第2次の除染と森林除染を要請しているとのことでした。

 川内村から富岡町に入ると廃墟といっていい風景が広がりました。

富岡町は現在帰還困難区域、居住制限区域、避難指示準備解除区域に分割されていますが、居住できないことはかわりない地域です。

無人の住居は、周りが草ボウボウとなっていました。

海岸縁のJR常磐線富岡駅は地震津波で崩壊しており、線路もみえないほど草が生えており、周辺建物は廃墟でした。

この町には簡易裁判所などもありましたが、放置されていました。

 楢葉町に入りました。ここは、避難解除指示準備地区で除染が大々的に行われ、除染された土などが入った真っ黒な袋(フレコンパック)が大量に集積されていました。

集積場には3年間おかれて、その後国が中間保管施設に移動させることですが、その場所はまだきまっていません。

 その後、郡山市内にもどり、川内村や富岡町の人たちが集団避難したという展示場の「ビックパレット」とその横に立てられた仮設住宅をバスの中から見学しました。

仮設住宅にはまだ多くの人が避難生活をされているとのことでした。

郡山駅に戻ったときには、午後7時30分をまわっていました。

原発被害とはなにか、人が住めないとどうなるか、ふるさとを奪われるとはなどいろいろ考えさせられ衝撃をうけました。

翌日の午後のシンポまでの午前中、私の趣味である遺跡巡りで郡山市内の大安場古墳公園を見学しました。地震で墳丘がこわれたが修復したとのことでいってみました。

東北最大の前方後方墳ですが、ここにも放射線測定器がありました。

福島県内には、縄文、弥生、古墳の遺跡がおおくあります。原発影響をうけた浜通りの太平洋沿岸地域にも、フクシマ古代人は多くの生活の痕跡を残しています。

過去地震津波に襲われながらも、再建して代々地域をまもってきた営みが、原発被害という現代人の高度文明の化け物によって居住そのものを奪われ、立ち入って再建できないという悲劇は、なんだろうかと公園内の施設の縄文土器などをみながら情けない思いでいっぱいでした。

午後のシンポでは、原発被害と賠償などをめぐって活発な議論がありました。

 さて、岡山弁護士会は、きたる10月19日(土)に第2回「原発事故賠償説明会+なんでも相談会」をおこないます。

詳細は別途お知らせします。

第1回以降、全国状況もかわっており、賠償ADRでも賠償内容や賠償額について事例が多く積み上げられてきています。

また、訴訟も各地で国や東電の答弁書がでたり、各地で提訴がされる状況になっています。

これをうけて第2回では、このようなADRでの賠償額の現在の内容と現在の訴訟状況について説明するとともに「生業を返せ、地域をかえせ」福島原発事故被害弁護団から弁護士を呼んで、この訴訟の特徴の説明をしてもらいます。

この訴訟の特徴は、原告が避難された人々だけでなく、現地にとどまっている人も原告になっています。

そして、請求内容は、「居住地を一定の放射能濃度までさげることや原発事故後一定の濃度に下がるまで毎月5万円を支払え」というものであり、他の各地の請求とは違う訴訟内容となっています。

 これは、残った人も避難した人も同じ被害者という位置づけだと思います。先に書いた私の郡山のわすかな見聞でも感じた自主避難地域の郡山などの実情にあう考え方だと思います。

どうしてこのような訴訟にしたのか、そこでの被害の考え方や賠償請求の考え方はどうなのかなど詳細な報告があると思います。

私たちは、原発被害とはなにかを考えながら、それを引き起こしたものはなんなのか、この被害救済や生活再建はどのようにすべきかなど、この第2回説明会のなかでも被害を受けた皆様と一緒に考えたく、その情報を提供しようと思います。

多くの方の参加をお待ちしています。
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